子どもは、誰のものでもない自分を生きています。
自ら選び、考え、行動する経験は、「自分」を作っていく基盤となります。
自らを生きることは、将来にわたって逞しく生きる自分を作り、
自らを生きる大人になれると、とうみょうでは考えています。
その「自分」を作るために必要な力が「生きる力」です。
しかし、「生きる力」は目には見えません。
また、すぐに結果が出たり、数値化、視覚化ができるとも限りません。
豊かな体験を通して得た様々な気付きや感動、試行錯誤やしなやかさが蓄えられ、
「生きる力」の基礎につながっていくのです。
それには豊かな経験ができる環境、多様な体験ができる場、
様々な人と関わることのできる場、本気で遊ぶことの場が必要です。
そしてその環境の中で自分で考え、判断し、
納得した上で行動できることが重要になってきます。
とうみょうでは、体験の質に十分考慮し、そこで生まれる子どもの姿や興味関心、
育ちを見守り適切に援助しながら、「生きる力」をはぐくんでいきます。
「みんな違ってみんないい」「自分は自分でいい」と充分に感じます
子どもは本気で遊んでいる時こそ、その子の命がキラキラと輝きます
この世の命あるものは、すべてが支え合って生きています。
「生きる」ということは、様々な命を頂いて「生かしてもらっている」ということです
子ども・大人・地域、みんなで大きな家族のようなかかわりを持ち、そこから生まれる絆をとうみょうでは大切にしています。
風の感触、太陽の匂い、生き物との触れ合い、自然の移り変わり。自分で遊びを選び、考え、友達と一緒に楽しむことの素晴らしさ。異年齢が同じ空間で遊ぶことで、自分より小さい子への配慮や優しさ、責任感が芽生えます。そして、自分より大きい子をモデルに真似をしたり、憧れを持ったり、挑戦する気持ちが自然に生まれます。
自分も周りの人も、優しい気持ちで過ごすにはどんなことに気を付けるといいのかを幼児期から一緒に考え、優しく、正しく、強い心を育てます。
寺はたくさんの自然が溢れ、草木や花々、生き物すべての命を感じることができます。その中で過ごす大切な時間。子どもの大好きな場所。
ふるさと「会津」をよく知り、愛する気持ちを育みます。
心の残る体験の積み重ねは、子どもの生きる力を育みます。
そして、子ども達が大好きなテラスでの食事やバイキング形式の楽しい食事。
体を動かして、戸外でたくさん遊んだ後にみんなで食べる食事は最高です!
人は完璧なものを求められると、そこに到達しなかった自分を「できない自分」として受け止めてしまいます。
子ども達がこれから生きていく未来には、他者と比較されたり、評価されたりしていくことが多々出てきます。
だからこそ、乳幼児期に無条件の愛情がたっぷり必要なのです。
周囲が他者と比較をしたり、「〜できた」「〜できない」という評価をしたりするのではなく、子ども自身が「自分は自分で良い」「そのままの自分で良い」と十分に感じることで自己肯定感が高まっていくのです。
そして、それぞれが自分と他者との違いに気付き、受け入れたり、認めたりすることができるようになっていきます。
考えや表現方法は人それぞれです。様々な場面で「こういった表現もあるんだ」「こんなふうに感じるんだ」と他者の考えや価値観を知ることは大切な経験だと思います。「みんな違って、みんないい」のです。
その視点から見ると、一斉に同じことをしなければならない保育は子ども一人一人が尊重されているとは言えません。
例えば、合奏は楽しいかもしれないけれど、別のことをする子がいてもいいと思います。
肝心なことはやってみようかなと思えるまで待つことです。
また、「男の子なのに」「女の子だから」といったジェンダーの押し付けや「食事は残してはいけない」等の大人のそれまでの生活経験の強要は個人を尊重しているとは言えません。
子どもの可能性の芽を摘み取らないためにも、子どもが自分が自分らしく生きていくことに自信を持てるためにも、周囲が自分の偏見や思い込みで子どもの人権を侵害するような対応をしてしまわないようにしていくことが重要です。
そして、大切なことには時間をかけ、目に見えない心の育ちや、人やものとの出会いの中で芽生える様々な感情や、多様な経験が積み重なる中で成長していく過程を大切にします。そこで生まれる主体的な活動や遊びを通して、満足感や充実感と共に自分への自信を高め、自己肯定感を育てていきます。
子どもは一定の力が育ってくると常に周りを見ていて、「あれいいな!」「あれをやってみたい」と好奇心や探索意欲を強く感じ、放っておいても自分から挑んでいきます。
それは、子どもには自分から育っていこう、今の自分を超えていこうとする本性があるからです。
また、もう少し大きくなって、何かの作業や手伝いをするようになると、だんだん手先が器用になるだけでなく、途中で「や〜めた!」と遊びに行くと叱られるから頑張ってやらなきゃいけないとか、上手にできてほめられたから今度はもっと上手くやろう、どうしたらもっと早くできるだろうと考えるなど、生活体験によっても様々な力が身に付いていきます。
つまり、歩く、走る、遊ぶ、そして仕事をするといった生活行為が、子どもを発達させていきます。
子どもがあれこれ考えを巡らしたり、自分の体を使ったり、友達と共有したり、協力したりする遊びは、達成感、充実感、満足感、挫折感、葛藤などを十分に味わうことができます。
自分で好きに遊ぶ事が保証されていると、子どもは何回も何回も同じ事を繰り返して遊びます。
それは、目には見えませんが、夢中で試行錯誤し、いろいろな発想を生み出しています。
大人が考えて子どもに何かをさせようとするよりも、子ども自身が「自分」を出して行動したり、遊んだりすることが大切なのです。
そういった「自分を出す」行動や遊びが「非認知能力」「認知能力」をはぐくむことになっています。
人にやらされている経験は、子どもにとって学びになりません。自分から「やろう」「やりたい」と思う経験こそが学びにつながっていきます。
乳幼児期の「やろう」「やりたい」は遊びが中心のため、遊びが学びなのです。
本気で遊ぶ経験を重ねていくと、子どもが「何かを身につけたい」「もっとできるようになりたい」と挑む時がやってきます。
それが、その子の命が輝いている時なのです。
遊びに没頭する中で思考を巡らし、心を動かしながら豊かな体験をしていくことが、生きる力の基礎を培っていくと考えます。
本気で遊ぶということは、本気で学ぶということなのです。
日々の生活の中で、食と命のかかわりなどを実感、体験する機会を積極的に取り入れています。
その中で子どもが自らの感覚や体験を積み重ねながら、自然の恵みとしての食材料や、それを育て調理し、食事を整えてくれる人への感謝の気持ち、生命を大切にする気持ちなどをはぐくんでいきます。
命の尊さと命の支え合いを伝え、「生きる」ということは様々な生命を頂いて「生かしてもらっている」ということを知ることで、自然と自分を取り巻く全ての生命に感謝する気持ちが育っていきます。
また、「命」の存在に気が付かなければ「命」あるものを大切にはできません。
虫を殺してはいけない事は正しい事です。
しかし、子どもは直接体験を通して学んでいきます。
むやみな殺生は「いけないこと」と伝えていきますが、一度死ぬと元には戻らないという命の大切さ、尊さを知る機会、「生と死」について、子どもが命に関わる機会を奪わないようにしていきたいと考えています。
そして、自己肯定感をはぐくむことで、自分の存在を大切に感じ、その思いが友達や周囲の人達を大切にしようとする気持ちにつながっていくと考えています。
0歳児から就学前までの子どもが同じ園舎で共に生活することにより、自分より年上、年下の友達と自然に交流できる環境を作っています。
その中で保育教諭は、子ども一人一人の発達や、入園した年齢の違いなどによる集団生活経験の差、家庭環境等をよく把握した上で、一人一人の気持ちや心の声を聴き取り、適切に応答することで親子のような信頼関係を築きます。
また、保護者の方が園や保育教諭に信頼を持つことが、子どもの安心した園生活につながっていくと考え、園は情報交換の場や教育・保育参加などの親子で遊ぶ場等を積極的に設けています。又、送迎時や電話連絡、連絡ノートやドキュメンテーション(写真とコメント)を通して、日々の子どもの様子や成長の姿を伝え合い、その喜びや悩みを共有していきたいと考えています。
そして園周辺の自然と触れ合ったり、働く方々と触れ合ったり、地域のボランティアさん、高齢者を始め幅広い世代と交流したりするなどの直接的、具体的な体験を多くできるような機会を積極的に設けています。そういった経験の積み重ねは、たくさんの人の目と手と愛情が子どもに注がれるということです。
たくさんの愛情が注がれた子どもの心には「生きる力」がいっぱい蓄えられます。
子ども、大人、地域、みんなで大きな家族のような関わりを持ち、そこから生まれる絆。その絆をとうみょうでは大切にしています。
「生きる力」です。
子どもは、誰のものでもない自分を生きています。
自ら選び、考え、行動する経験は、
「自分」を作ってい基盤となります。
自らを生きることは、
将来にわたって逞しく生きる自分を作り、
自らを生きる大人になれると、
とうみょうでは考えています。
その「自分」を作るために必要な力が
「生きる力」です。
しかし、「生きる力」は目には見えません。
また、すぐに結果が出たり、
数値化、視覚化ができるとも限りません。
豊かな体験を通して得た様々な気付きや感動、
試行錯誤やしなやかさが蓄えられ、
「生きる力」の基礎につながっていくのです。
それには豊かな経験ができる環境、
多様な体験ができる場、
様々な人と関わることのできる場、
本気で遊ぶことの場が必要です。
そしてその環境の中で自分で考え、判断し、
納得した上で行動できることが重要になってきます。
とうみょうでは、体験の質に十分考慮し、
そこで生まれる子どもの姿や興味関心、
育ちを見守り適切に援助しながら、
「生きる力」をはぐくんでいきます。
「みんな違ってみんないい」
「自分は自分でいい」と充分に感じます
子どもは本気で遊んでいる時こそ、
その子の命がキラキラと輝きます
この世の命あるものは、
すべてが支え合って生きています。
「生きる」ということは、様々な命を頂いて
「生かしてもらっている」ということです
「生きる力」がいっぱい蓄えられます。
子ども・大人・地域、みんなで大きな家族のような
かかわりを持ち、そこから生まれる絆を
とうみょうでは大切にしています。
風の感触、太陽の匂い、生き物との触れ合い、自然の移り変わり。自分で遊びを選び、考え、友達と一緒に楽しむことの素晴らしさ。異年齢が同じ空間で遊ぶことで、自分より小さい子への配慮や優しさ、責任感が芽生えます。そして、自分より大きい子をモデルに真似をしたり、憧れを持ったり、挑戦する気持ちが自然に生まれます。
自分も周りの人も、優しい気持ちで過ごすにはどんなことに気を付けるといいのかを幼児期から一緒に考え、優しく、正しく、強い心を育てます。
寺はたくさんの自然が溢れ、草木や花々、生き物すべての命を感じることができます。その中で過ごす大切な時間。子どもの大好きな場所。
ふるさと「会津」をよく知り、愛する気持ちを育みます。
心の残る体験の積み重ねは、子どもの生きる力を育みます。
そして、子ども達が大好きなテラスでの食事やバイキング形式の楽しい食事。
体を動かして、戸外でたくさん遊んだ後にみんなで食べる食事は最高です!
人は完璧なものを求められると、そこに到達しなかった自分を「できない自分」として受け止めてしまいます。
子ども達がこれから生きていく未来には、他者と比較されたり、評価されたりしていくことが多々出てきます。
だからこそ、乳幼児期に無条件の愛情がたっぷり必要なのです。
周囲が他者と比較をしたり、「〜できた」「〜できない」という評価をしたりするのではなく、子ども自身が「自分は自分で良い」「そのままの自分で良い」と十分に感じることで自己肯定感が高まっていくのです。
そして、それぞれが自分と他者との違いに気付き、受け入れたり、認めたりすることができるようになっていきます。
考えや表現方法は人それぞれです。様々な場面で「こういった表現もあるんだ」「こんなふうに感じるんだ」と他者の考えや価値観を知ることは大切な経験だと思います。「みんな違って、みんないい」のです。
その視点から見ると、一斉に同じことをしなければならない保育は子ども一人一人が尊重されているとは言えません。
例えば、合奏は楽しいかもしれないけれど、別のことをする子がいてもいいと思います。
肝心なことはやってみようかなと思えるまで待つことです。
また、「男の子なのに」「女の子だから」といったジェンダーの押し付けや「食事は残してはいけない」等の大人のそれまでの生活経験の強要は個人を尊重しているとは言えません。
子どもの可能性の芽を摘み取らないためにも、子どもが自分が自分らしく生きていくことに自信を持てるためにも、周囲が自分の偏見や思い込みで子どもの人権を侵害するような対応をしてしまわないようにしていくことが重要です。
そして、大切なことには時間をかけ、目に見えない心の育ちや、人やものとの出会いの中で芽生える様々な感情や、多様な経験が積み重なる中で成長していく過程を大切にします。そこで生まれる主体的な活動や遊びを通して、満足感や充実感と共に自分への自信を高め、自己肯定感を育てていきます。
子どもは一定の力が育ってくると常に周りを見ていて、「あれいいな!」「あれをやってみたい」と好奇心や探索意欲を強く感じ、放っておいても自分から挑んでいきます。
それは、子どもには自分から育っていこう、今の自分を超えていこうとする本性があるからです。
また、もう少し大きくなって、何かの作業や手伝いをするようになると、だんだん手先が器用になるだけでなく、途中で「や〜めた!」と遊びに行くと叱られるから頑張ってやらなきゃいけないとか、上手にできてほめられたから今度はもっと上手くやろう、どうしたらもっと早くできるだろうと考えるなど、生活体験によっても様々な力が身に付いていきます。
つまり、歩く、走る、遊ぶ、そして仕事をするといった生活行為が、子どもを発達させていきます。
子どもがあれこれ考えを巡らしたり、自分の体を使ったり、友達と共有したり、協力したりする遊びは、達成感、充実感、満足感、挫折感、葛藤などを十分に味わうことができます。
自分で好きに遊ぶ事が保証されていると、子どもは何回も何回も同じ事を繰り返して遊びます。
それは、目には見えませんが、夢中で試行錯誤し、いろいろな発想を生み出しています。
大人が考えて子どもに何かをさせようとするよりも、子ども自身が「自分」を出して行動したり、遊んだりすることが大切なのです。
そういった「自分を出す」行動や遊びが「非認知能力」「認知能力」をはぐくむことになっています。
人にやらされている経験は、子どもにとって学びになりません。自分から「やろう」「やりたい」と思う経験こそが学びにつながっていきます。
乳幼児期の「やろう」「やりたい」は遊びが中心のため、遊びが学びなのです。
本気で遊ぶ経験を重ねていくと、子どもが「何かを身につけたい」「もっとできるようになりたい」と挑む時がやってきます。
それが、その子の命が輝いている時なのです。
遊びに没頭する中で思考を巡らし、心を動かしながら豊かな体験をしていくことが、生きる力の基礎を培っていくと考えます。
本気で遊ぶということは、本気で学ぶということなのです。
日々の生活の中で、食と命のかかわりなどを実感、体験する機会を積極的に取り入れています。
その中で子どもが自らの感覚や体験を積み重ねながら、自然の恵みとしての食材料や、それを育て調理し、食事を整えてくれる人への感謝の気持ち、生命を大切にする気持ちなどをはぐくんでいきます。
命の尊さと命の支え合いを伝え、「生きる」ということは様々な生命を頂いて「生かしてもらっている」ということを知ることで、自然と自分を取り巻く全ての生命に感謝する気持ちが育っていきます。
また、「命」の存在に気が付かなければ「命」あるものを大切にはできません。
虫を殺してはいけない事は正しい事です。
しかし、子どもは直接体験を通して学んでいきます。
むやみな殺生は「いけないこと」と伝えていきますが、一度死ぬと元には戻らないという命の大切さ、尊さを知る機会、「生と死」について、子どもが命に関わる機会を奪わないようにしていきたいと考えています。
そして、自己肯定感をはぐくむことで、自分の存在を大切に感じ、その思いが友達や周囲の人達を大切にしようとする気持ちにつながっていくと考えています。
0歳児から就学前までの子どもが同じ園舎で共に生活することにより、自分より年上、年下の友達と自然に交流できる環境を作っています。
その中で保育教諭は、子ども一人一人の発達や、入園した年齢の違いなどによる集団生活経験の差、家庭環境等をよく把握した上で、一人一人の気持ちや心の声を聴き取り、適切に応答することで親子のような信頼関係を築きます。
また、保護者の方が園や保育教諭に信頼を持つことが、子どもの安心した園生活につながっていくと考え、園は情報交換の場や教育・保育参加などの親子で遊ぶ場等を積極的に設けています。又、送迎時や電話連絡、連絡ノートやドキュメンテーション(写真とコメント)を通して、日々の子どもの様子や成長の姿を伝え合い、その喜びや悩みを共有していきたいと考えています。
そして園周辺の自然と触れ合ったり、働く方々と触れ合ったり、地域のボランティアさん、高齢者を始め幅広い世代と交流したりするなどの直接的、具体的な体験を多くできるような機会を積極的に設けています。そういった経験の積み重ねは、たくさんの人の目と手と愛情が子どもに注がれるということです。
たくさんの愛情が注がれた子どもの心には「生きる力」がいっぱい蓄えられます。
子ども、大人、地域、みんなで大きな家族のような関わりを持ち、そこから生まれる絆。その絆をとうみょうでは大切にしています。